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北大路魯山人と辻石斎

北大路魯山人大正時代に加賀を訪れた魯山人は「加賀料理」「陶芸」「漆芸」と出会い美食家から芸術家へとその才能を開花させていった。

山中塗で茶道具の先駆者だった辻石斎は茶道の他、謡いや芸事を嗜み、茶道の家元や文化人らと親交を持っていた。

石斎を訪ねた魯山人は漆や漆器作りの指導を求めながら漆器の研究にも励み、その後、互いの価値観も一致しその後親交を深めていくこととなった。



魯山人は、一閑張の技術を持っていた石斎にその技術を使った椀や盆等の製作を依頼しデザインや絵付けなどで協同作品を残している。
大正末に行われた魯山人の作品展では石斎作の一閑張の盆に自筆で絵付けをした盆や椀を発表した。

辻石斎石斎は「星岡茶寮」の開店の頃から漆器製作に深く関わり、代表作「一閑張日月椀」等が製作された。
妥協を許さない魯山人は、唐物の漆器や時代椀をモデルに次々と器を製作を依頼していった。


辻石斎店舗加賀山中温泉にある石斎の店舗は昭和9年に建てられ現在も営業を続けている。
魯山人に縁のある建物で公開されている数少ない場所である。

魯山人は店舗2階にある座敷で昼寝をしたり書を書く事もあった。



特に石斎の妻「せつ」の手料理を好み煮物から焼物、漬物に至るまでその味を楽しみに訪問したと伝えられている。
(以下五代石斎談)

・「ぜいたくに」
これは加賀料理と言うより田舎料理と言った方が良いのですが、古くから加賀の地域で食されている沢庵の煮物です。
季節によって塩加減が変わり家々によっても味が違います。
ただ、沢庵を湯で塩抜きして煮込むといった手間を掛ける事から「贅沢煮」といわれています。
沢庵の歯ごたえや風味で酒にも飯にも合う料理です。
魯山人は石斎宅で食べる「ぜいたくに」を好みました。

・「加賀野菜」
魯山人は加賀野菜を好み茄子やいも、茸類を自分好みの料理で味わいました。
石斎では代々受け継がれる魯山人直伝の料理があります。

・「煮物の炙り焼き」
大根・油揚げ・豆・人参の煮物を作ると一晩寝かせ翌日に具だけを炭火で炙り汁はやや温める程度で食べます。

・甘鯛の漬け焼き
新鮮な甘鯛の切り身を薄口醤油に一晩漬け込み、濃い口醤油を落としながら炭火で焼き食べます。
この時茗荷と生姜を細かく刻み薬味とします。

・「水魚」みずごろく
加賀で12月頃食べられる珍魚、全体が寒天状で覆われています。
煮物や吸い物で食べるが魯山人は砂糖を入れて食べました。(生臭さを消す為)

・四十九院の蕎麦
魯山人は石斎の妻からの手紙で、加賀の四十九院で採れた蕎麦を打つので来ないかと誘われた時、わざわざ鎌倉から食べにやって来たそうです。

昭和11年に星岡茶寮を去った魯山人でしたが、その後も漆器作りは続け石斎も協力していきました。

昭和13年に東京白木屋で開催された「魯山人芸術展」には「一閑張日月椀」が「金銀日月椀」として出展されています。他には自筆の椀、膳等もありました。

昭和16年椀の製作でトラブルとなり、魯山人から一方的な「絶縁状」が届き一時交流が絶えたようです。
しかし一年もしない内にまた山中にやって来て椀の製作を依頼してきました。

「星岡茶寮」は戦後再興され、中村竹四郎と石斎は終生円満な関係を続けました。
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参照
中村竹四郎と魯山人・石斎
中村竹四郎は魯山人の才能を生かすべく、共同経営と言う形で「星岡茶寮」を開きその手腕をふるいました。
石斎は白山(石川県の山)に竹四郎を案内して登山をしたり、その当時まだ珍しかった飛行機に乗り旅を楽しんだ仲でありました。

「蘆吾愛」■額
「蘆吾愛」われろをあいす
石斎君へと加筆して贈られた物


「星岡茶寮花見の絵」■軸(絵)
「星岡茶寮花見の絵」
昭和11年の「星岡茶寮の花見会」の案内で使われた原画


「西瓜と茄子の絵」■軸(絵)
「西瓜と茄子の絵」
昭和13年8月山中で描いたもの
加賀野菜を好んだ魯山人は特に茄子と西瓜は好物だった。


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